(2006年01月01日)

日本の漢詩B

広瀬淡窓「桂林荘雑詠 諸生に示す」其の一

全日本漢詩連盟会長  石川 忠久

 菅茶山の「冬夜読書」と並ぶ、勉学の詩の傑作を見る。

 作者広瀬淡窓(1782〜1856)は、豊後日田[ぶんごひた](大分県)の人。名は建[けん]、淡窓は号である。ほかに遠思楼主人とも号する。

 16歳のとき、福岡へ出て亀井南溟・昭陽父子に学んだ。26歳で日田に桂林荘を開き子弟を教育した。入門者がしだいに増え、10年後に場所を移し、咸宜園[かんぎえん]と称した。入門者は4,000人以上に及び、高野長英、大村益次郎、清浦奎吾などが門下から輩出した。

 この詩は初期の塾生に示したものである。


   桂林荘雑詠示諸生  広瀬淡窓
   桂林荘雑詠、諸生に示す
休道他郷多苦辛 [い]うを休[や]めよ
他郷苦辛多しと
同袍有友自相親 同袍[どうほう]友有り
[おのず]から相い親しむ
柴扉暁出霜如雪 柴扉暁に出[い]づれば 霜 雪の如し
君汲川流我拾薪 君は川流を汲め
我は薪[たきぎ]を拾わん

(訳)
 よその地へ来て苦労が多い、などと言ってはいけない。
仲の良い友だちが出来て、親しみ合うではないか。
朝早く、柴の戸を開[あ]けて外へ出ると、雪のように霜が降りている。
さあ、君は川の水を汲んで来たまえ。僕は山で薪を拾って来よう。


 塾での共同生活の一コマである。柴の戸で象徴される“清貧”の暮らし。冬の朝の寒さの中の“緊張感”。そして、それをバックに、塾生同志の暖かい心の通いが、互いに分担して朝の食事の仕度をする場面によって、生き生きと描かれる。

 『論語』に見える「朋[とも]有り遠方よく来たる、亦[ま]た楽しからずや」の句を、詩で表現してみせたもの、と言えよう。