(2006年04月01日)

日本の漢詩C

永井荷風

全日本漢詩連盟会長  石川 忠久

     墨上春遊
     永井荷風
黄昏転覚薄寒加 黄昏[こうこん][うた]た覚[おぼ]
薄寒[はくかん]の加[くわ]わるを
載酒又過江上家 [さけ]を載[の]せて又[また][す]
江上[こうじょう]の家[いえ]
十里珠簾二分月 十里[じゅうり]の珠簾[しゅれん]
二分[にぶん]の月[つき]
一湾春水満堤花 一湾[いちわん]の春水[しゅんすい]
満堤[まんてい]の花[はな]

(訳)
隅田川べりの遊び
たそがれ時、何となく寒さがつのり、
酒を携えて、また川べりの料亭へと上る。
十里の堤に立ち並ぶ青楼、空に満月、
春の水は入江に満ち、桜の花は堤に満ちる。


 永井荷風[ながい かふう](1879〜1959)、名は壮吉[そうきち]、母は漢詩人鷲津毅堂[わしづ きどう]の娘、父の永井禾原[かげん]も漢詩人として知られる。

 荷風本人は、漢詩はあくまでも余技だったが、この詩はなかなかのものである。題材は、いかにも荷風好みの“墨江情緒”の世界である。

 起句(第一句)「黄昏」「薄寒」によって、春寒[はるざむ]の夕刻、が示される。その寒さが承句(第二句)「酒」を呼び起こす。 承句、ちょっと寒くなって、一杯やりたくなった。「酒を載せる」は、晩唐の杜牧[とぼく]の詩の、「江湖[こうこ]に落魄[らくたく]して酒を載せて行く」〈懐[おもい]を遣[や]る〉に基づくが、直接には清[しん]の陳文述[ちんぶんじゅつ](碧城[へきじょう]「紅袖青衫[こうしゅうせいさん]酒を載せて行く」〈春江花月[しゅんこうかげつ]の夜[よる]の巻子[けんす]に題[だい]す〉の句が影響しているだろう。

 紅袖は芸妓、青衫は若い書生を意味する。

 陳碧城(1771〜1843)の洒脱[しゃだつ]で艶冶[えんや]な風は、幕末から明治にかけて大いに流行[はや]った。荷風の好みにぴったりで、漢詩の家に生まれた若き荷風は、まずその風に浸ったものだろう。

 なお、転句(第三句)「二分の月」は、唐の徐凝[じょぎょう]「天下三分明月[てんかさんぶんめいげつ]の夜[よ]、二分無頼[にぶんぶらい][こ]れ揚州[ようしゅう](天下の明月の夜の美しさの三分のニは、なんと揚州が占めている〈揚州を憶[おも]う〉の句を踏まえて、洒落[しゃれ]た味を出している。

 後半の二句とも、句中対(句の上の四字と下の三字の構造が同じ)どうしで、対句になっていて、詩に滑らかな調子を添える。

 荷風は小説の世界へ進んだので、漢詩は全部で三十首余りしか伝わっていないが、この詩は技巧的にも優れていて、詩才をうかがわせるものがある。これだけのものは、まぐれでは出来ない。もし、荷風が漢詩に本腰を入れていたら、明治・大正の漢詩界にいかに彩を添えたことであろうか。