(2005年10月01日)

「和習」「和風」について

全日本漢詩連盟会長  石川 忠久

 9月3日(土)4日(日)の両日、国際シンポジウムが二松学舎九段校舎の地下中洲講堂で開催された。

 テーマは、「世界における日本漢文学研究の現状と課題」というもので、アメリカ、べルギー、オランダ、タイ、ヴェトナム、台湾、中国、韓国及び日本の各地から学者が参集して、熱のこもった報告や討論が行われた。

 私は初日の冒頭、1時間半基調講演を行った。「日本の漢詩和習と和風」という演題である。

 「和習」とは、日本人特有の用語、言い廻し、発想などをいう。「和臭」とも書き、避けるべき欠点として指摘されるものである。中国の高級言語芸術である漢詩は、外国人にはなかなか習得し難いので、習い初めの学力、技倆ともに未熟なうちは、和習はまつわりがちである。

 ただ、「懐風藻」(751年成立、日本最初の漢詩集)などに見られる作品の中には、未熟な言い廻しの中に、日本独自の感性の光るものがあり、これが、「和漢朗詠集」(11世紀初成立、和漢の名句の選集)に見られる名対句(対句のみを作る)へと繋がること、つまり、漢詩の形式による“やまとうた”というべきもの、にも注意を払わなければならない。

 江戸へ入ると、詩人人口の増加、それに伴なう技倆の向上によって、和習に非ずして“和風”と称すべき作品が続々と現れる。ことに、安永(1772)・天明から、文化・文政・天保(1844)に至る70年余りの時期は、日本の漢詩のピークであり、頼山陽をはじめとする多くの優れた詩人が輩出した。

 たとえば、頼山陽の「天草洋に泊す」(七言六句の詩)や梁川星巖らの「芳野」(七言絶句)などは、題材といい、詠いぷりといい、日本漢詩の特性を示す例となる。

 およそ、以上のような内容を、詩を例に挙げながら講演した。

 ついで、外国の研究者による各国の現状と展望の報告が行われたが、いずれも流暢な日本語で、むしろ日本人よりも語彙が豊かであるように感ぜられた。終っての懇親会でも話の花が咲いたことであった。

   国際研討会偶感  岳堂
共操和語意疎通 共に和語を操りて意疎通す
歐亞論文此会同 歐亜文を論じて此に会同す
泉下老師君識否 泉下の老師君識るや否や
松林今日起新風 松林今日新風起こる

   泉下老師謂三島中洲