(2003年04月17日)

《新聞再録》

全日本漢詩連盟の
初代会長になった石川忠久さん

〈朝日新聞4月17日付朝刊「ひと」

明治の軍人だった祖父は漢詩が趣味だった。孫は、墨のいい香りに誘われて、祖父の書斎が好きになる。

最初に「少年老い易く学成り難し」を覚えた少年は中学生になると、漢詩を作り添削を受けていた。

東大の中国文学科に進むと、江戸の儒学者に学んだ人たちが名誉教授でいた。

「戦争に負けて、中国文学は現代ものが主流でしたが、新しいものより古典だと思っておりました。江戸の薫りを残す長老たちのお話をお聴きするのは、非常な楽しみでした」

学成って、いまや長老と呼ばれる存在になった。

長老は二松学舎大学長のほか、将軍綱吉が建てた湯島聖堂を守り、東洋の学術の普及と発展をはかる「斯文会」の理事長も務める。

詩吟の愛好者との連携も考えている。それにしてもいま、なぜ漢詩なのか。

「戦後の漢字政策は、誤りでした。ワープロ、パソコンの普及で、目にする漢字は増え、漢字の重要性は、増しています。それなのに漢字を軽んじ、学校は漢詩、漢文に力を入れなくなった。タガがはずれたような社会になったのは、そのツケではないか。そういう気がしてなりません」

香川、群馬、鳥取と、国民文化祭に漢詩コンテストを催す県が多くなった。

「新たに福岡が加わります。教養、風雅を愛する伝統は生きています。まずは名作にふれること、朗読することです。黙読はいけません。3年辛抱すれば、形になるものが作れます」

(川村 二郎)